昭和文学会@花園大学

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「文学」と「音楽」をその関係において論じると言うことは、大変な困難と危険に隣り合わせた作業だ。

加藤邦彦氏の発表にも「わたしはここでいわゆる「詩の音楽性」を問題にしたいのではない」と前置きされているように、安易に「この詩には音楽性があります」といったり、「この詩の音楽性は~に帰着します」といったりすることは、フィクションとしての「音楽」を前提にした空疎な論にならざるをえないだろう。

私の関心の圏内にある、詩の分野に関しても、それが活字テクストとして提供されている以上(もちろん、当時の発表形態においてそれが様々なバリエーションを孕んでいることはありうる)、それは「音楽」とは無縁なものであって、そこにおける「音楽」は仮構のものにしかなりえない。

そもそも、ある詩を「声に出して読む」際に、それをどう音声化するのか、という時点で、乖離は既に生じている。

広瀬正浩氏の発表では、「文学研究において、いかに音楽を研究するかのアプローチの可能性」をとても整理して提示しており、頭の手助けとして非常に有益であった。

大原祐治氏の発表においても坂口安吾とエリック・サティをめぐり、安吾において仮構された「音楽」がどのようなものであったのかが明らかにされていた。(すいません、会場外でのおしゃべりに夢中で最初の方を聞き逃しました。。)

細川周平氏による日本近代音楽史についての講演は、「勉強になりました」以外のなにものでもなかった。本当に、勉強になりました。日本近代の「音楽」史について、「音楽」という言葉の成立から現代までの整理。



猛烈なる多重な位相に分裂するわたくしをけらけら笑う「音声」の幻影がプリンティングされていく京都の朝なのですよ。

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このページは、Hiroaki TAKEMOTOが2009年11月15日 07:28に書いたブログ記事です。

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