かくしてその2がやってきた。
その3に続くかも知れないし、続かないかも知れない。
今回はAlwyn Spies氏「Ninja, Cowboy, Bear: Approaching "Japanese Video Game Studies" through Film」の報告。
ゲーム研究も近年盛んに行われ始めているが、私の関心に引きつけてこの発表を聞くならば、ゲーム研究が、「ナラトロジー」/「映像論」/「ゲーム論者」の闘争の場となっている、という指摘が示唆的であった。
「ゲームを、いかに研究するか」、さまざまな方法論があろうが、マンガ研究の黎明期と場合と同じような"植民地争奪戦"が起こっていると見ることもできよう。
「物語」として「ゲーム」を読み解く立場。「ゲーム」における「映像」を読み解いていく立場。それらに対して、「ゲームのゲームたる独自の構造」を明らかにしようとする立場。
本シンポジウムでも、アニメやゲームを扱う発表が数件あったが、どれも、「前提を共有していない人にいかに語りかけるか」に多く時間をとられている印象があったため、もう一歩突っ込みきれていない感を抱いた。そこはまあ、場所が場所だけに仕方ないのだろうが。
その3に続くかどうかは、またまたわからないのである。
第4回 日本アニメ文化研究会@金沢大学は無事終わりました。
「電脳コイル」から出発し、ヴァーチャルとリアルの多重化という観点を元に、「ヘタリア」を独自に解釈していく『腐女子』の心性を明らかにしていく試みだったかと思います。
第5回は1月中旬に開催される予定です。
竹本寛秋「「ぷりずむ」としての「山村暮鳥」」を、暮鳥会会報『風景』第2期5号(通巻16号)に掲載させていただきました。
山村暮鳥研究をめぐる問題点を指摘したつもりです。
もし会員でないかたで、お読みになりたい方がいらっしゃいましたら、お知らせください。
その2があるかどうかは謎である。
さて、ものすごく実り多いシンポジウムだったのである。これだけのシンポジウムを開催できるというのはまさにデスメタルである。一秒間にどれだけ音を詰め込めるかというくらいの密度なのである。
セッション7のテーマは「ヴィジュアル・イメージと社会―親密圏と公共圏の再編成にむけて―」
丹羽美之氏の発表は「記録映画の保存と活用―記録映画アーカイブ・プロジェクトの事例から―」
さて、ただでさえ映画はアーカイブとして残らないものであるのだが、そのなかでも、商業ベースではない所謂「記録映画」をアーカイブし活用できる形にしていく作業の必要性は、研究の基盤として強調しすぎてもしすぎることはない。
このセッションで特に印象に残ったのは、松本篤氏による「映像コミュニケーションにおける"ローカル"の価値 ―ビジュアルアーカイブプロジェクトAHA!の事例報告―」だ。
松本氏は個人の"タンスの奥"に死蔵されているプライベート・フィルム―それこそ個人的結婚式の記録といったもの―を収集しているわけだが、注目すべきはそれを収集するというところだけにはない。
収集の過程において、そのフィルムの所有者とともに上演会を行い、上演によって呼び起こされる当事者の「記憶」を問題化していくのだ。さらには、「公開上演会」―そのフィルムと全く関係のない人々も含めた上演―を行うことで、氏の言う「誤読」の可能性を追求する。ここでいう「誤読」とは、私の理解では、他人によって刻まれた「痕跡」としてのフィルムから、見る者自身「記憶」を引き出していく作業だ。そこにおいて、多様な人々の「記憶」が交錯する。これは研究であるとともに、非常にアクチュアルな実践だ。
これは、ぜひ行くべきシンポでしたよ。
その2、に続くかもしれないし、続かないかもしれない。
VAIO type P を出張用に借りました。
......便利!!
e-mobileを接続すれば、どこでもほとんど普段と変わらない環境になりますね。
片手で気軽に持てる重さが、高機能メモ帳として最適です。
ただし...デフォルトでは猛烈にもっさりしている。。
また...文字が小さいので、好みによっては目が痛くなるかもしれない。
さて、ラジオで「すっごくリラックスできました」と言っている言葉を、「すっごくLinuxできました」に聞き間違えた先刻なのですよ。
わたくしにとってFD・SDとは...
FD...RX-7の型番。
SD...SDガンダム
なのだが、そういう話は措く。
さて、SD(Staff Development)も各所で叫ばれるところとなっている状況であるが、覚書にしかならないが、FD以上にSDは、職員のボランティア精神・職員自身の向上心に頼ってはいけないと思う。そうではなく、制度として、職員のステップアップ、昇任体系に直結するものでなければ、職員側の論理からすれば、「なぜそこまでやらればならないのか」感だらけの歪みをうむだろう。もちろん、愛媛大学のように、専門職職員としての道筋を用意する試みもある。そうした制度的枠組みを考えなければ、単に職員の仕事を、上からの押しつけで増やすことにしかならないと思っている。