2010/3/14に開催された日本近代文学会東海支部のシンポジウム「〈少女〉は語る/〈少女〉を語る」に参加した。
さて、シンポジウムの内容もさることながら、注目すべきは文学系の学会において、初めてと言っていい試み―学会の模様をUstreamでリアルタイム中継する―が行われたことだろう。
名古屋では去る2010/3/8日の日本近現代文化研究センター第二回講演会「植民地文学について──戦前ブラジルの日本語文学世界」(細川周平氏講演)でもUstreamでの中継が行われている。その立役者が名古屋大学の日比嘉高さんであることは言うまでもない。
Ustreamでのリアルタイム中継に関しては、賛否ある。極端な声を聞けば、「それでは学会に行く意味がないではないか」という話もある。
しかし、私は、この現象は単に学会を「中継」しているだけのものではないのだ、という立場を取る。
というのも、このようにUstreamとtwitterを使ったシンポジウム運営は、実際に会場に行った者に対してですらも、今までとは別種の「学会体験」を拓くものであると考えるからだ。
私は現在までに、UstreamとTwitterを組み合わせた学会において、会場に直接行き、なおかつ会場でUstream中継を見つつ、Twitterを同時にしながら学会を見るという、いわばかなりの「ヘビーユーザー」的行動をとってきている。
UstreamやTwitterは会場外からの意見を吸い上げるもの、と考えておられる方は認識が甘いのである。
会場において、「ヘビーユーザー」は、相当頭をぐるぐるさせなければならないのである。
一度の学会において、少なくとも二層の「議論の場」がそこに形成されるからだ。
発表者の発表⇔会場の意見 を聞きつつ、参加しつつ、同時に、
Twitterでの議論をブラウズし、ときにその議論に参加する。
これをリアルタイムで行うのは、とても大変であるが、大変に有益な体験でもある。
これに慣れたならば、従来の、「あー、言いたいことは山ほどあるんだけど、あの人(特定はしませんw)話長いんだよなー」的なあり方の方に不満を抱くほどになる。
また、Twitter上で意見交換した方とフォローし合うことにより、時間的な制約を超えて、気の済むまで討論することができる。
しかしながら、ことに文学系の学会においては、機械への親和性を持つ層が限られている、という問題が、重く重くのしかかるのであった。UstreamやTwitterにすっと入ってこれる層が限られている、いきおい、パソコン好きばかりがtwitter上で前景化し、学会として、実際の「場」と、ネット上の「場」は明確に分離してしまう。そしてTwitter利用も、いきおい「外からの意見も聞いてみましょう」的なお飾り的な利用しかされなくなってしまうのが関の山なのである。
しかしながら、ここは、いろいろあっていいじゃまいか、というスタンスをとった方がよからう。まだ始まったばかりなのだから。
さて、シンポジウムの内容もさることながら、注目すべきは文学系の学会において、初めてと言っていい試み―学会の模様をUstreamでリアルタイム中継する―が行われたことだろう。
名古屋では去る2010/3/8日の日本近現代文化研究センター第二回講演会「植民地文学について──戦前ブラジルの日本語文学世界」(細川周平氏講演)でもUstreamでの中継が行われている。その立役者が名古屋大学の日比嘉高さんであることは言うまでもない。
Ustreamでのリアルタイム中継に関しては、賛否ある。極端な声を聞けば、「それでは学会に行く意味がないではないか」という話もある。
しかし、私は、この現象は単に学会を「中継」しているだけのものではないのだ、という立場を取る。
というのも、このようにUstreamとtwitterを使ったシンポジウム運営は、実際に会場に行った者に対してですらも、今までとは別種の「学会体験」を拓くものであると考えるからだ。
私は現在までに、UstreamとTwitterを組み合わせた学会において、会場に直接行き、なおかつ会場でUstream中継を見つつ、Twitterを同時にしながら学会を見るという、いわばかなりの「ヘビーユーザー」的行動をとってきている。
UstreamやTwitterは会場外からの意見を吸い上げるもの、と考えておられる方は認識が甘いのである。
会場において、「ヘビーユーザー」は、相当頭をぐるぐるさせなければならないのである。
一度の学会において、少なくとも二層の「議論の場」がそこに形成されるからだ。
発表者の発表⇔会場の意見 を聞きつつ、参加しつつ、同時に、
Twitterでの議論をブラウズし、ときにその議論に参加する。
これをリアルタイムで行うのは、とても大変であるが、大変に有益な体験でもある。
これに慣れたならば、従来の、「あー、言いたいことは山ほどあるんだけど、あの人(特定はしませんw)話長いんだよなー」的なあり方の方に不満を抱くほどになる。
また、Twitter上で意見交換した方とフォローし合うことにより、時間的な制約を超えて、気の済むまで討論することができる。
しかしながら、ことに文学系の学会においては、機械への親和性を持つ層が限られている、という問題が、重く重くのしかかるのであった。UstreamやTwitterにすっと入ってこれる層が限られている、いきおい、パソコン好きばかりがtwitter上で前景化し、学会として、実際の「場」と、ネット上の「場」は明確に分離してしまう。そしてTwitter利用も、いきおい「外からの意見も聞いてみましょう」的なお飾り的な利用しかされなくなってしまうのが関の山なのである。
しかしながら、ここは、いろいろあっていいじゃまいか、というスタンスをとった方がよからう。まだ始まったばかりなのだから。
近代文学会の大会に行くと、会場には人が多いのですが、書籍売り場に人がほとんど来ないんです。
支部は違うのかも知れませんが。
参加というのは、どういうことなのか、が問われると思います。
どっちか、ではなくて、どっちもがいいんです。
でも、多くの人にとってはネットがあればいいという感じでは?
なかなか、容易ではないのでは?
というようなことを思いました。
コメントありがとうございます。
そうですね。Ustream配信をする学会で、「参加申し込みをしたにも関わらず、中継があるからといって会場に足を運ばない」という問題が発生していることも実際に起きつつあるので、なかなか難しい問題です。
私としては、「実際に参加する」ことは中継を見ることとは別種のものだと思っていますが、一般に「中継で見ればいいや」という考えが広がってしまうことは確かにあり、それによって学会への参加人数が減ってしまうのであれば、問題だと思っています。
しかしながら、中継は、学会活性化のツールとしても有効だとも思っているので、そのへんのバランス・学会運営能力がポイントかと考えています。(諸刃の刃ですね)
ちょっと考えが迷走していますが、取り急ぎ。